はな劇場

地下1階。土壁に囲まれた、アップライトピアノとステージだけの場末パブ。Googleマップには載っていません。

【小説】真夏の胡蝶 4/7

「ボストン大学での任期が終わったらベトナムにもどるのかい?」

 チェーンソー用オイルの入ったボトルを持って屋内に戻ってきたダンは、歓談するピーターの目の前にビールが置かれているのを見て安心した。

「ええ、でもまた、こっちに戻ってきたいと思っています」

 セイがピーターに答えて言った。

 

「パパ、私、お腹空いた」

 スーザンがスマホを置いて父親にすり寄ってきた。

「バナナあるよ。食べる? 夕ご飯もうすぐだからね」

「バナナ、食べる」

 そういって、スーザンはバナナを二本平らげた。バナナの皮をゴミ箱に捨てようとするセイをダンが止めた。

「ちょっと待って。それはコンポストにするから、ゴミ箱じゃなくて、コンポスト用の容器に入れてくれる」

 私たちは夏の間、庭で野菜や花を育てている。果実の皮や野菜の芯など、不可食部を集めて有機たい肥(コンポスト)を作り、それを園芸に利用しているのだ。

 セイはそれに興味を持ったようで、ダンがコンポストの説明をしていた。

「田舎ではみんな自分の畑や庭でコンポストを作るけど、今はモントリオール市内でも台所の生ごみを集めてコンポストにしようという動きがあるんだ。

 政府のごみ収集にコンポストというカテゴリーができてね、毎週一回回収してくれる。おかげで一般ごみの量が劇的に減少したよ」

「すばらしいシステムだね」

「いいことだと思うよ。普段、僕たちが自分でコンポストにするときには、動物系の肉骨や、加熱後の食べ残しはコンポストとして使えないんだけど、市がやってるコンポストはそういうものもOKなんだ。どういう仕組みになっているのかわからないけどね」

 そういえば、彼の言う通り、モントリオール市内なら動物系の肉や骨もコンポストとして回収してもらうことができる。

 じゃあ、トランクの中の「荷物」も、細かく刻んで「コンポストゴミ」として処分してもらうことができるのでは…?

 ―――そこまで考えてぞっとした。このまま、私は何か違った生き物になってしまうのではないだろうか。私たちはすでに、今までの私たちではない、一線を越えてしまっているのかもしれない。

 

 夏の日没は遅く、太陽が出ていると思ってうっかりしているうちにすでに七時近くになっていた。

「帰ってこないと思ったら、やっぱりね」

 クラウディアがピーターを呼びにやって来ていた。腕組みをしてにらみつける彼女の前で、ピーターは叱られた子どものようにその巨体を縮こまらせていた。グラスに残ったビールを飲み干して、彼はいそいそと椅子から立ち上がった。

「ピーター、オイルを忘れないで」

 ダンにそう言われて、ピーターはオイルの入ったボトルを持ち上げた。

「ダン、ありがとう。じゃあ、ちょっと借りてくよ。エリ、ビール、ごちそうさま。セイとスーザン、みんなも、楽しい週末を」

 私はなんとなく胸騒ぎがして、家の玄関を出て彼ら二人を送って行った。玄関の前は石の敷き詰められたプライベート小道になっている。坂を下りるように十メートル弱行ったところが駐車場だ。そして、道路の斜め反対側が、ピーターとクラウディアの住む家だった。

「何か、臭うわね」

 そう言うクラウディアの言葉にギョッとした私は、何かいいかけて、彼女に阻まれた。

「エリ、今年もまたペイントするんでしょ?」

「え?」

 確かに、昨日ダンと二階の部屋の壁を塗り替える話をしたが、クラウディアにはまだ伝えていなかったはずだ。「ええ、そのつもりだけど」

「そうでしょうね。なんか、臭うから」

 彼女はそう言って、クンクンと鼻をかいだ。「さっそくペイント買ってきたのね。今度は何色?」

 この夏の暑さで、私は鼻が麻痺してしまったのだろうか。数日前に降った大雨の後、草木が発酵するような臭いしかしないのだけど。

「えっと、何色って…」

 ジンファンデル、と言いかけて、私の眼は車のトランクにくぎ付けになった。トランクの蓋が、わずかに持ち上がって開いている。オイルタンクを取り出したとき、ダンの閉め方があまかったのだろう。あるいは、よほど慌てていたのか。

 トランクにくぎ付けになった私の視界に、見慣れた顔が出現した。白い車の向こう側にある茂みから、北隣の若い隣人、アンドレがニュッと顔を出したのだ。

「血の匂いがする」

 どうして、この辺の住人はこんなにも鼻が利くのだろう。それとも私だけが異常に鈍感なのか。

「おう、アンドレ!」とピーターが声をかけた。

「血の臭いがするんだよ。また、ジムじいさんとこの、チキンだか豚だかが、キツネにやられたんだろう」

 ジムはアンドレ夫妻の隣人だが、彼らもまた一風変わった夫婦で、ニワトリや豚を飼って自給自足の生活をしているらしい。私たちはあまり交流したことがないが、ときどき森のキツネやオオカミが家畜を盗んでいくのでブツブツ文句をいっているらしい。

「でも、お前んちの犬どもは騒いでなかったぞ」

「あいつら、まったく使い物にならねえ!」

 アンドレは毒づいてそのまま自宅の庭へと戻った。

 私はホッとして、駐車場の前で二人とさよならした。彼らが自宅に戻っていくのを確認してから、我が家の車の後部に回り込み、そっとトランクの蓋を押して確実に閉めた。茂みの向こうを眺めると、アンドレが薪割り機の手入れをしているのが見えた。

 

 あと数時間の我慢だ、と思った。「明日の今頃にはすべて終わって、このストレスから解放されてるはず」

 そして、明日の日没には、夕陽を眺めながら一仕事片付けたあとのワインを楽しんでいるだろう自分たちを想像した。

 家の中に戻ると、ダンは誰かと電話中だった。

「午後三時までになんとかなるかい? その後は出かけたいんだ。もし三時までが無理なら来週にしてほしい」

「誰?」まさか明日の三時じゃないわよね、と思いながら尋ねた。

「ウィルだ。明日、薪を届けに来てくれるらしい」

 また、悪い予感が的中した。

「明日? 三時までに? ホントに三時までに来れるの?」

 私たちは毎年初夏、冬のための暖炉用薪を購入する。今の時期にフレッシュな薪を納品してもらい、庭に積み上げて、冬が来るまで乾燥させるのだ。しっかりと乾燥させないと薪燃料として効率が悪くなるので、六月のこの時期の納品でも遅いくらいだった。

 軽トラックの荷台にあふれるくらいの薪を購入するため、それを納めてもらった当日は薪木で駐車場がいっぱいになる。だから、セイたちの車が停まっている状態での納品は無理だ。それで、ダンは明日の午後を指定したのだろう、それはわかるのだが。

「彼らは日曜日は仕事したがらないからね。明日三時までに無理だったら来週にしてもらうよ。どっちみち、明日はローラが来るまで動けないんだから…」

 確かに彼の言う通りだと思った。会計士ローラの到着を待つしかない以上、その間、誰か他の訪問者があってもなくても同じことだ。ローラが去るまでにウィルが来なかったら、そのときは来週にしてもらえばいい。

「心配することないよ、エリ。万が一、来週になったとしても遅すぎるということはないから」

 とにかく、明日をのり越えればすべて解決すると自分に言い聞かせて、私たちは遅い夕食のあと、それぞれのベッドルームへ引き込もった。

 

「ねえ、やっぱり死体を埋める方がいいんじゃない?」

 ベッドの中にいても、考えるのは一つことだけだった。

「土の中に埋める方が発見されにくいはずでしょう。その辺の森の中に放置しただけだと、どこかの犬や動物たちが見つけるかもしれない」

「いや、僕は、土の中に埋めない方がいいと思う。いいかい、この辺は持ち主だって自分の森の中で何が起こっているか把握してない人の方が多い。

 万が一、動物や犬がヤツの死体を見つけたとしても、あの男は普通の市民じゃない。ヤク中かアル中、あるいはその両方だ。そんな男が森の中で野垂れ死んだところで、警察はたいして気にも留めないだろう。

 もし、土に埋められていたら、見つかるのは数年後になるかもしれないし、ずっと見つからないかもしれない。でも、いったん発見されたら、」

「殺人事件になるということね」

「そうだ」

「わかった」

「大丈夫だよ、きっと何もかもうまくいく。さあ、もう休もう。明日もまた長い一日になる」

 

 その夜、私は夢の中で空を飛んでいた。

 家や森を見下ろした状態でふわふわさまよっていると、突然大量の蝶がやってきて視界をふさがれた。その蝶は足元に広がる湖から湧き上がってくるようで、私の目の前を入れ替わり立ち代わり飛び回った。

 そしてふと、それらが散らばって視界が開けた瞬間、湖の真ん中に何者かが浮かんでいるのが見えた。

 あの男の死体だった。

 

 そこで目が覚め、思わずベッドから飛び起きた。振動でダンを起こしてしまったものの、悲鳴を上げて二階のゲストを起こさなくてすんだことにほっとした。

「エリ…、大丈夫だよ。あと数時間ですべて終わるから」

 彼の腕の中で涙をぽろぽろ流しながら、彼といっしょなら何でものり越えられると自分に言い聞かせて、再び眠りについた。

 

 

 (この物語はフィクションです。実在の人物や団体とは100%関係ありません)