はな劇場

地下1階。土壁に囲まれた、アップライトピアノとステージだけの場末パブ。Googleマップには載っていません。

【小説】真夏の胡蝶 6/7

 私がシーツと枕カバーを洗濯しているとき、ローラはやって来た。玄関先に止めてあった私たちの車のすぐ後ろに、彼女が自分の車をつけるのが見えた。

「ハイ、エリ! ダン!」

「久しぶりね。元気だった?」

 

「ええ、ありがとう。ごめんねー。ちょっとだけ訂正が必要なところがあって、あなたたちのサインが必要なの。すぐに終わるから」

 彼女はそう言って、慌ただしく鞄から書類を出した。ダンがサインするのを待って、私もサインした。ローラはもう一度確認してから書類の束をトントンとテーブルに打ち付け、ファイルにしまった。

「OK。これで間違いなく間に合うわ」

「わざわざ来てくれてありがとう」

「近くで別のクライアントとの打ち合わせがあって」

「稼ぎ時だもんね」

「そうなのよ。毎年この時期はストレスがたまるわ」

 彼女はファイルを鞄にしまうと「そういえば、車買い替えたのね」

 ローラと会うのは一年以上ぶりだが、会計士なので昨年車購入代金が発生しているのは知っていた。

「そうなんだ、前のトヨタがダメになってね。でも、今の車も売りに出すかもしれない」

「何、気に入ってないの?」

「ちょっとね。中古で買ったからね、あんまり調子も良くないんだ」

 車のことはあまり話題にしない方がいいんじゃ、と、私のまなざしに気が付いたようで、彼は慌てて話題を変えた。

「いや、まあ、ちょっと考えてるだけさ。とにかく、今日はわざわざ来てくれてありがとう」

「私のクライアントに、緊急で車を欲しがっている人がいて、短期的な使用だからできるだけ安く手に入れたいみたいなの。もし、売る気になったら連絡して。紹介できるかもしれない」

 彼女は立ち上がりながらそう言った。

「わかった。その気になったら連絡するよ」

 そういってダンが玄関の扉に手をかけたとき、遠くからトラックの音が聞こえてきた。

 

三人で外に出てみると、ちょうど大量の薪木を積んだ、連結荷台付きのピックアップトラックが駐車場にバックで入ってくるところだった。

「薪の配達だ」

 ウィル親子はこの近くで代々森林業を営んでいる。かつては父親が毎年薪を搬入してくれていたが、昨年、息子のウィルに代替わりした。ウィルとは去年初めて会ったが、好感の持てる青年だ。

 薪を積んだ連結荷台を駐車場にまっすぐ収めるため、ウィルは何度か切り返しているところだった。

「今年の冬用の薪ね」

 薪木の配達を始めてみるローラは、興味津々という風に眺めていた。そもそも、ウィルのトラックが出ない限り、ローラも車を出すことができない。器用に荷台を駐車スペースに収めてから、ウィルは車を降りてきた。

「ヘイ、ダン!」

「ウィル、久しぶりだな」

 いったん男同士で握手をしてから、ウィルはすぐに車を操作しに戻った。連結荷台の前部を高く持ち上げ傾斜させ、中の薪木を地面に落下させる。太い薪木がガランと大きな音を立てて転がり落ち地煙をたて始めた。

 ここの冬はマイナス三十度近くまで下がることもある。いったん冬に突入すればほぼ二十四時間薪暖炉を炊くことになるので、そのために大量の薪を買う。すべての薪を下すためには、荷台を六十度くらいの角度まで傾斜させなくてはならない。積み荷をすべておろして荷台を戻すまでに、半時間程度かかる。

 

「ちょっとした光景ね、これは」

「ダン、元気にしてたかい?」

 荷台のコントローラーを手にもったまま、ウィルが尋ねた。薪木が地面にガラガラと打ち付けられる音のために、二人はほとんど叫ぶようにして会話しなくてはいけなかった。

「ああ、君も。今は忙しいだろう」

「まあね。稼ぎ時だよ」

 最後の一本が転がり落ちるのを確認して、ウィルは荷台を水平に戻し始めた。

「ウィル、こっちはローラ。僕らの会計士さんだ。ローラ、こっちはウィルだよ」

と、ダンはそれぞれ二人を紹介した。

「ハイ、ローラ。はじめまして」

「ハイ、ウィル。薪の配達って初めて見たけど、なかなかすごいわね」

「あれ、ちょっと待って」

 ウィルは、完全に水平に戻った荷台のストッパーを解除できなくて右往左往しているみたいだった。「ダン、悪い。スパナあるかな」

「あるよ。あー、ちょっと待って、車に積んでるから取ってくる」

 彼の工具箱は車のトランクの中だった。一瞬ヒヤッとしたが、幸いなことにローラの車がマツダ車のすぐ後ろにつけているので、駐車場にいる私たちの位置からは、トランクの中が見えることはなさそうだった。

 ダンは、家の中から車のキーを取って来て、トランクを開錠するために運転席の扉を開けた。そのとき、

「ダン、OKだ。もう直ったよ」とウィルが声を上げたので、ダンはそのまま車をロックした。

「これでもう問題ない」とウィルが車のエンジンを完全にストップさせた。

「ウィル、支払いをするよ。ちょっと中に入って」

 ダンがそういってウィルを家の中へ促した。ウィルが車を動かさない限り自分の車を出せないローラも、仕方なくまた家の中に戻った。

「六百四十ドルだったよね」

 ダンが現金を渡すと、ウィルは肩に鷲の刺青が入った筋肉隆々の腕で、か細いペンを操り領収書を書いた。

「サンキュー」

 ウィルはお金を受け取って、代わりにレシートをダンに手渡した。「そういえば、この冬はどこに行ってたんだい?」

 私たちが冬の間毎年アジアを旅行することは、ウィルもローラもよく知っていた。

 

「去年の冬はインドネシアにいたよ。それから正月は日本で」

「あら、そうだったの。日本は楽しかった、エリ?」

「ええ、久しぶりに日本の正月を満喫できた」

「君はどうだった、この冬は。また狩り三昧か?」

 ウィルとその父親は冬の間狩りをするのが趣味だった。この辺はシカやムースが生息していて、その肉は高値で売ることもできる。

「今回は、シカはイマイチだったね。でもムース狩りは良かったよ。いつもに比べると大収穫だった」

「そうか、それはよかったね」

 ムースはヘラジカ、あるいはエルクとも呼ばれる大型動物。シカの仲間では最大で、体長三メートル、肩高は二メートルを超えるものもあるという。北アメリカ大陸およびユーラシア大陸の北部に分布する。ムースはだただでさえ高級肉で、しかも一頭から取れる肉の量も多い。かなり稼いだことだろう。

 

「今シーズンのムースは大モノが多かったんだが、それよりも、すげぇ大きなオオカミに遭遇してさ」

 彼は思い出して急に興奮し始めた。「俺の親父の肩の高さくらいまで頭があるんだ」

 ウィルも大柄な方だが、彼の父親はさらに背が高い男だった。

「なんだって、それって本当にオオカミなのか?」

「そうだよ。気が付いたときには、親父と二十メートルくらいの距離まで近づいて来ていやがった」

「それで、どうしたの?」

「慌てて銃をぶっ放して逃げたさ」

「二人とも無事だったんだね。なら、良かった」

「もう何年も狩りに出てるが、あんなデカい奴は初めて見たよ!」

 興奮冷めやらぬウィルだったが、そろそろランチだからとダンが促した。彼は好青年で私たちも好感を持っていたが、おしゃべり好きなので時々辟易することもある。

「じゃあ、私もこれで」彼と同時にローラも別れを告げた。

「またね、ダン、エリ。何かあったら、また連絡するわ」

 ウィルは、来た時と同じように何回も車を切り返して、連結して長くなった車体をなんとかメイン道路に乗せた。プッとクラクションを鳴らして去っていたその後にローラの車が続いた。

「また、落ち着いたら、一回飲みましょう!」

 

 そういうローラに手を振って、彼らの車が走り去るのを見送る―――いよいよ一番いやな仕事を片付けるときだ。

 そう気を引き締めて家の入り口を振り向いた私は、またもやイラっとした。

「ダン、また、トランクの蓋が開いてる。」

「あれ、本当だ。さっき、間違ってそのまま開けちゃったんだ」

 ローラの車の陰になって誰も気が付かなかったのだろう。彼はトランクに手のひらを当て、ギュッと押し閉めた。

「さぁ、やっとこれで自由な時間だ。一番大切な仕事にとりかかろう。それとも先に何か食べる?」

 時刻は午後一時になろうとしていた。お腹が空いているはずだったが、やらなくてはいけないことを先に片付けてしまいたい。

「先に荷物を片付けてからランチにしましょう」

「よし、わかった。じゃあ、家を施錠してすぐ出かけよう」

 

「何を考えてる?」

 しばらく黙って運転していたダンが質問した。

「あの、巨大なオオカミのこと」

「ああ、ウィルの話か」

「どう思った?」

「さあね。君も知っている通り、この辺はうっそうとした森だし、いろんな動物が生息してる。でも、彼の話はどうかな…、多少脚色が入っていると思うよ」

「そうね」

「森の中で遭遇したらどうしようと思ってるの? 怖い?」

「まあ、少し」

 死体を運んでいるときに、そんな巨大な動物に遭遇したら、私はどうすればいいのだろう。これが日本の都会に住んでいるなら、そんなおとぎ話、笑い飛ばしていただろう。でもここに実際に住んでいると、あながち嘘とは思えなく感じることもある。そうやって、人の話には尾ひれがついていくものなのだろうけど。

「どこまで行くの? 何か当てがあって車を走らせているんでしょ」

「十年近く前に利用していた木こりの森林に行ってみようと思う。大木が密集していて、しかも彼が数年前に亡くなったあと、ほとんどだれも住んでいないはずなんだ」

 

 だれも近づきさえしないような森林の奥がいい。

 ここの夏は短いから、やがてすぐに落ち葉が散り始め、地面を覆いつくすだろう。そして冬になれば、数か月も深い雪が積もったままになるはずだ。ほんの一、二か月ほど暑い夏をのり越えれば、後はますます見つかりにくくなる。

 いっそのこと、巨大オオカミに食べられてしまえばいいと思った。森には、たくさんのコヨーテもいる。

 車はまっすぐに伸びる起伏の激しい道路を快走したかと思うと、今度は曲がりくねった小道をうねうねと蛇行し始めた。良く晴れた日なのに、空に覆いかぶさる樹々の葉に日光が遮られて、車道は薄暗かった。上空から見下ろせば、きっとグリーンの絨毯のように見えるに違いない。

「この辺でいいだろう」

 ダンは、こんもりとした森林の中にある小さな沼の水辺に車を寄せて停車させた。メインの車道から小道に折れたところだから、他の車が通ることもめったにないはずだった。

 彼は車のエンジンを止めて、息をひそめた。周りに何かいないか、耳を澄ませてみる。風もなく穏やかな天気、鳥の声さえしなかった。誰かの足音も犬の鳴き声もしない。まるで世界に二人っきりになったみたいな錯覚を覚えた―――いや、もう一体、いるのだけれど。

 

「ちょっと重いけど、二人で運べばすぐだ。できるだけ道路から遠くへ運ぼう」

 ダンはそういって、トランクを開錠してから運転席のドアを開けた。後部へ回り込んだ彼を追うように、私も車の後部へ向かった。

 彼はトランクの蓋に手をかけてグイっと持ち上げ、そして、その姿勢のまま固まってしまった。

「Oh, f*ck!」

 ダンの顔が、驚愕にゆがんでいた。

 少し遅れてトランクをのぞき込んだ私は、髪の毛という髪の毛が逆立って脱毛するんじゃないかと思った。

 あるはずの死体はもうそこにはなく、その代わり、暗い空間から蝶が一羽、ふわりと森林に舞い上がった。

 

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 (この物語はフィクションです。実在の人物や団体とは100%関係ありません)