はな劇場

地下1階。土壁に囲まれた、アップライトピアノとステージだけの場末パブ。Googleマップには載っていません。

【小説】真夏の胡蝶 2/7

 トランクを閉める手に力が入り過ぎたのか、思わず大きな音を立ててしまったらしい。隣の家の二匹の犬が吠え始めた。こういうとき、音や臭いに敏感な動物は本当に目障りだ。

 

 本当は、私もダンもできるだけ早く死体を始末したかった。

 この辺りは人家もまばらで、うっそうとした森の中に無数の湖が点在しているだけの土地だ。他人の土地に死体を放棄するのはためらわれるが、オーナーがみなその土地で暮らしているとは限らない。

 うちの南側の土地の持ち主だって、私がここに引っ越してから一度も会ったことがなかった。そんな土地に何者かを放棄して誰が気づくだろうか。どうせ放っておけば数年で土になる。

 

 自分たちの土地のどこかに穴を掘って埋めることも考えた。

 でも、我が家の北側には二年前にやってきた若い夫婦がいるし、北西にはピーターとクラウディアが住んでいる。彼らはリタイアした夫婦なので、家を空けることはほとんどない。大きな穴を掘っているところを見つかりでもすれば、何といいわけすればいいのか。

 おまけに彼らが飼っている犬たちも問題である。犬を散歩させるときリードを付けないことが多いので、死体の臭いを嗅ぎつけられてワンワンされてもやっかいだ。

 

 湖に沈める、という方法も考えた。うちの裏手には比較的大きな池がある。

 しかし、それも危険だと結論付けた。裏手の沼にはビーバーが生息していて、彼らは勝手にダムを造る。ダムでせき止められた水の流れの変化で、どこで死体が浮かび上がるかわからない。

 それに、この辺は麻薬の違法栽培を監視するために政府のヘリコプターが頻繁に飛んでいる。うっそうと茂る森の中に打ち捨てられたモノは目につきにくいが、湖の水面に浮かんだ異物は目立ちやすい。

 

 とはいえ、他人の土地や普段行き慣れていない場所への夜のドライブは控えたい。雪解け水のために道路が一部流されてしまっていたり、アスファルトに大穴が開いている箇所もある。外が明るいうちに死体を運ぶのが理想的だった。

 ところが、今日は夫の古い友人、セイが娘を連れて三年ぶりに会いに来ることになっていた。仕方がない、今日はあきらめてセイと娘が明日帰ったあとに始末するしかなかった。

 
 ベトナム人父娘が到着したのは午後二時に近かった。私たちは遅い朝食を摂っていたのでお腹はあまり空いていなかったが、彼らのためと自分たちの軽食も兼ねて、チャーハンを作っておいた。

 二階にはベッドルームが三部屋ある。青い部屋とオレンジの部屋、そしてライム色の小部屋で、ゲストに一番人気があるのは最も広い青い部屋だった。多分、彼らもそこに泊まりたがるだろう。

 彼らがやってくる前に、私は再度、血痕が残っていないか確認して回った。窓を開け放っていたので臭いはこもっていないと思うが、念のためにラベンダー入りの室内用ミスト香水を全室に吹きかけておいた。

 

 彼らの車らしい紺色のスバルが二階の窓から見えた。私は最後にもう一度部屋を見回して、階下へ降りた。

 駐車場は入り口が狭いので、彼らの車は私たちのマツダの進行方向をふさぐような形で停まった。これで、彼らが出るまで、白いマツダも動かしようがなくなった。

 私は、あるはずの異変が起こっていないか確かめでもするかのように、再び車のトランクに目をやった。ぴったり閉じられたトランクの隙間をまたぐように、一羽の蝶が止まっていた。

 今年の春は蝶の幼虫が大量発生していた。この辺は田舎なので、さまざまなタイプの蝶や蛾が生息している。十から十二年の周期で、それらが大量発生するらしいが、今年は当たり年だった。

 

「ダン! エリ! 久しぶり!」

 イタリア人並みの朗らかさで、セイとその娘らしき少女が四輪駆動から降りてきた。私はセイとは、三年前にハノイを旅行した時に会っていたが、娘は初めてだ。

「彼女はスーザン。今、ボストンでいっしょに暮しているんだ。フランスで生まれたから、フランス語も少しわかるよ」

「ハイ、スーザン。ようこそ。私は、フランス語あまり得意じゃないけど、ダンはOKよ」

 彼らを手伝って荷物を屋内へと運んだ。家に入る前にもう一度車の後部を振り返ると、止まっていた蝶がまるで嘲笑うかのようにヒラヒラと飛び上がるのが見えた。

 ダンが年齢を尋ねると、ダークブラウンのゆるい巻き毛の娘は、十三歳だと、アメリカ訛りの英語で答えた。人見知りしない、はきはきとした話し方は父親ゆずりらしい。

「さあ、入って。オタワは楽しかった?」

 くったくのない少女の笑顔と精悍なセイの明るい話し声を聞きながら、少しだけトランクの中の荷物のことは忘れようと思った。

「ベッドルームは二階に三部屋あるんだ。僕たちは一階で寝るから、三部屋のうち好きな部屋を使っていいよ」

 ダンがセイとスーザンに説明した。「トイレは二階に一つだけ。排水も手作りでできている家だから、水回りはちょっと不便だけど我慢して」

 

 北米の大きな家は、ベッドルームにシャワー室やバスルームが付いていることが多い。でも私たちの家は、古い手作りの家をフランス系カップルから安く買い取ったもので、近代的な設備とは言えない状態だった。

 スーザンは今にもスキップしそうな軽い足取りで、青い部屋とオレンジの部屋、ライム色の部屋を物色していた。

「パパはどこがお気に入り?」

「うん? スーザンはどこがいいんだい? パパはその後で選ぶよ」

「私、グリーンの部屋にする!」

 若い彼女はきっと青い部屋かオレンジの部屋を選ぶだろうと思っていた私は、ちょっと動揺した。

「その部屋は…」いちばん、掃除が行き届いてない部屋だった。何か言いかける私の肩に、夫が手をのせた。

「スーザン、あの部屋が気に入ったのかい? 一番小さくて狭いけどいいのかな」

「うん、私、あのライムみたいな壁の色が好き。それに、ラベンダーのいい香り…、あそこで眠りたい! 大丈夫よ、私小さいから!」

「OK。君がそう言うなら。セイ、君はどうする、ブルーの部屋にするかい?」

「ああ、そうするよ」

「じゃあ、荷物を運んだら、下に降りてきて。軽い昼食用意しているから」

「分かった、ダン。ありがとう」

 

 また不安そうな顔をする私をなだめて、階段を下りながらダンは言った。

「大丈夫だよ。僕たち、ちゃんと掃除しただろう。何も残ってやしないよ。それに相手は子供じゃないか」

 子供だから心配なのだ。大人では気づかない殺人の痕跡を感じるかもしれない。

「安心して、エリ。そうだ、明朝彼らが帰った後、荷物を処分したらペンキを買いに行こう。グリーンの部屋を君の好きな色で塗り替えるんだ。そうすれば、何もかも忘れられる」

「…そうね。それがいい考えかもしれない」

「君は何色がいいと思う?」

 ここにやって来て最初の年は家の外壁を塗り替えた。去年は、一階の寝室の壁を北極色にペイントした。そのときペンキ屋さんで見た、カラフルなペンキ色を思い出しながら言った。

「ジンファンデル」

 ワイン用ブドウ品種の名前が付いた、スモーキーな赤紫色だった。

「わかった、そうしよう。今年の夏はジンファンデルに塗り替えよう。きっと素敵な部屋になるよ」

 

  (この物語はフィクションです。実在の人物や団体とは100%関係ありません)