はな劇場

地下1階。土壁に囲まれた、アップライトピアノとステージだけの場末パブ。Googleマップには載っていません。

【小説】今夜も独り飲み 三岳の章

 その男は松葉杖をつきながら、たいそう不機嫌な顔で、よっこいしょとスツールに腰かけた。

「マスター、いつもの」

 私は酒棚の三岳に手をかけながら、とりあえず心配しているふりをすることにした。

「山本さん、手術したばかりなんでしょう。大丈夫ですか、飲んでも」

「いいんだよ。飲まずにやってられるか、これが。痛くて仕方ない」

 

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 山本は昔からの常連客だが、長年仕事で酷使したために腰を悪くしていた。あまりにも痛みがひどいというので、先日手術を受けたところだ。私は医者ではないので、いつまで松葉杖が必要なのか知らないが、私の感じるところでは彼自身松葉杖が気に入っているようでもある。

「こいつで歩いてると、みんな道を開けてくれるしなぁ。電車の席も譲ってもらえるぞ」

 手術を終えて初めて店に来た時も、彼はそういって笑っていた。

 
 信楽焼の焼酎タンブラーに氷と焼酎、水を注ぎ、山本の目の前に置いた。

「腰の調子はどうですか」

「なんだか、よく分かんねぇなぁ。医者はよくなったというけどさ、この痛みがいつまで続くのか...、やっぱり若いころの無理は年取ってからツケが回ってくるなぁ」

「お互い、年には勝てませんね」

 そこで店の扉が開いて、若い女性が入ってきた。

 

「こんばんわー。あら、山本さん、お久しぶり」

「おう、ノリか。久しぶりだな」

 店の常連客の中でも若い世代に入るノリちゃんは、格別美人ではないが人懐っこいキャラクターと笑顔で、誰からも好かれる存在だ。彼女は迷うことなく山本の隣に腰を下ろした。

「ノリちゃん、何にする?」

「うーん、今日はどうしようっかな。山本さん、何飲んでんの?」

「三岳、芋焼酎だよ」

「うわー。芋か! 臭いの苦手」

「ばか、三岳は最高の焼酎だ。これだから…、お前も酒が分かっとらんなぁ!」

 山本さんの口の悪さは店の常連客の間でも有名なので、ノリちゃんも気にしない。

「山本さんの言う通り、三岳は飲みやすいよ。ちょっと味見してみる?」

 そういって、私は三岳をショットグラスに半分程度注いで、彼女の前に置いた。

 

 三岳は屋久島で作られる薩摩焼酎の一つ。昔ながらの作り方で醸される芋焼酎だが、比較的クセがなく飲みやすい。芋焼酎ということを感じさせない繊細さが魅力の逸品だ。

 彼女は臭いをかいでから一口飲むと、

「へえ、ホントだ。すごく飲みやすいね」

 普段ウイスキーもストレートで飲む彼女は、焼酎のストレートでもそのままくいっと飲み干してしまった。

「じゃあ、私、お湯割りにしてみようかな」

「おう、お前、意外と飲み方知ってんな」

と、ちょっと感心した様子の山本に、ふと思いついたように彼女が言った。

「あれ、そういえば、山本さん、手術したんじゃなかった?」

「おう、ほれ、だから松葉杖」

 彼はカウンターに立てかけてあった松葉杖を顎で指して、そのまま焼酎グラスに手をかけた。

「えー、そんな手術後に飲んじゃっていいんですかー」

 笑いながらからかうようにいうノリちゃんに、山本もおどけて返す。

「うるさい、ほっとけ」

 そういって、これ見よがしに酒をグイっとあおった。

 

「っていうかさ、手術のこととか、娘さんにも言ってないんでしょ」

 山本の腕が一瞬、宙で停まった。

 彼には別れた奥さんに引き取られた娘がいて、すでに成人している。山本にとっては愛娘だが、彼女の方は父親にいい印象は持っていないらしく、すっかり疎遠になってしまっているという話だ。

 彼にとっては非常にデリケートな話題だが、親子ほどに年が離れていながらも彼を本気で怒らせないのは、ノリちゃんのキャラクターなのだろう。

「本当に、お前は! 余計なことばっかり、覚えてるなぁ。いいんだよ、おいらと娘のことは!」

 焼酎の入った信楽焼をゴンとカウンターに置いて、ノリちゃんに唾を飛ばす勢いで応戦した。

「お前もなー、就職してからも親元でぐじゅぐじゅ、くすぶってんなら、食費くらい家に入れとけ!」

「わかってるよー。そのうち、そのうち」

 ノリちゃんも痛いところを突かれたという雰囲気で、座り心地悪そうにした。彼女が話題を変えようと、視線を手元のお湯割りに落としたとき、山本の携帯が鳴った。

 

「なんだ、誰だ、こんな時間に」

 ブツブツ言いながら彼は、老眼から電話のスクリーンを少し遠ざけて相手を確認しようとしたがすぐにあきらめて、そのままおもむろに通話ボタンを押し、耳元に寄せた。

「はい」

 ノリちゃんはお湯割りをすすり、

「うん、おいしい」

 無邪気に三岳を味わう若い彼女の横では、深刻な会話が進行しているようだった。

「…はい、…うん。…はい、…」

 低く押し殺した声で相打ちを打つ山本さんの真面目な顔が、だんだんと赤く高揚しているように見えた。

「…なあに、なんかいつになく真剣じゃない?」

 ノリちゃんも普段と違う雰囲気に気が付いて、小声で私に話しかけた。

 その横で彼は、この店で見せたことがない顔付きのまま、低いトーンで「ハイ」を繰り返していた。まだそれほど酒も飲んでいないのに、肌の色がどんどん紅潮していく。

「ちょっと、…山本さん…」

 ノリちゃんがギョッとするのももっともで、山本は唇をブルブル震わせていたかと思うと、カウンターに肘をついた片手で目元を覆った。顔も首も真っ赤になっている。

 電話の向こうにいる相手には、高ぶる感情が伝わらないように平静な声を装って、彼が小さく「すみません」というのが聞こえた。

 私はあっけに取られて、カウンターごしにノリちゃんと顔を見合わせた。

 やがて電話での会話が終わり、山本はそっと携帯をカウンターに伏せておいた。目頭を覆っていた手のひらを外すと、まるで温泉に浸かった山ザルのように、目の周りが真っ赤になっていた。

 

 私が温かいおしぼりを手渡すと、目を伏せがちにしたまま彼は「ありがとう」とつぶやいて、目の周りをゴシゴシとぬぐい、ついでにチーンと鼻をかんだ。

「…もしかして、娘さん?」

 おしぼりを目に押し当てたまま動かさない山本に向かって、ノリちゃんがやさしく尋ねた。

「…おう」

 彼はもう一度、おしぼりでギュッと顔を拭きながら、くぐもった声で答えた。やっと上げたその顔はどちらかというと晴れやかで、電話の内容が不幸な知らせでなかったことを告げていた。

「…おいら、しばらく、酒、やめるわ」

「えっ!!」

 私よりもノリちゃんの方が大きな声で驚いた。

「いや…、完全にやめるとかじゃなくて、その、一日二杯までにしようかな…」

 山本は「酒をやめる」といったことをすぐに反省して撤回した。

「はーん、手術のこと娘さんにばれて、怒られちゃったんだ」

 また、ノリちゃんが余計なツッコみをする。

「お前は、本当に…! 勘だけはいいな」

 彼の娘と同世代のノリちゃんは、えへへと笑った。

「おい、マスター、だから今日はよぅ、おいら、もう帰るわ! 勘定!」

 彼は一万円札を出して、

「これで、こいつに好きなだけ飲ませてやってくれ。余ったら置いとけよ」

と、機嫌よく立ち上がると松葉杖を取った。

「わーい、ありがとうございます!」

「あんまり、飲み過ぎんなよ。足らない分は自分で払っとけ」

 そう言い残すと彼は、不器用に松葉杖をつきながら店を出て行った。

「了解でーす」

「ありがとうございました」

 

 残されたノリちゃんは、空になった焼酎グラスを押し出して、

「おかわりください。同じものを」

「了解」

 私は、差し出された焼酎グラスに熱湯を注ぎ、その上から三岳を加えた。キレイ系の芋焼酎だが、やはりそこは芋らしくカツンとくる存在感がある。水やお湯で割っても伸びがよく、味がボケない。

 両頬杖をついて目の間に置かれた芋焼酎の水面を見つめながら、ノリちゃんがふっとつぶやいた。

「私も、そろそろ家にお金、援助しようかな」

 それを聞いて、私は、思わず微笑みがこぼれた。

「無理しない程度に、最初は少しずつでいいんじゃないですか」

「そうだね」

 彼女はふッと顔を上げ、私の眼を見てそう笑うと、再びお湯割りに口を付けた。

 

 

 

*この物語は100%フィクションです。実在の人物は何人たりとも関係ありません。